リコッコ家のホームデコール雑記帖

旅して巡って、ボーホー・ラスティックな家

我が家の家具と装飾への思いとサイズ感の伝わりにくさ

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朝、2階から下りてきてすぐに食事空間の壁を撮ってみる。点灯せずに、ずいぶん離れた窓のブラインドを少し開けた状態で差し込む薄日の中では、こんな色味に見える。苦く泥のようなダークチョコレートといった具合か。

今日この記事で話したいのは、我が家の家具と装飾への思いとサイズ間の伝わりにくさ。その前に、違う時間帯のこの壁色を見比べてみたい方がいればこの記事『食事空間の壁をカポナータに塗って吊り下げランプと』にどうぞ。 ↓

 

ricodecor.hatenablog.com

 

 

↓ この写真は、最初の写真とほんの少し高さと角度を違えて撮ってみたものだが、壁と絵と照明のサイズ感がおそらく伝わっていないだろうと思う。

たとえば絵キャンバスの大きさは、縦横同じで80cm。その絵がある壁から吊り下げランプまでは、150cmほど離れている。色や素材や形状はほぼ伝わっていたとしても、それらのサイズ感まで含めてが印象や感想となるはずだから、サイズ感が伝わっていないとすればここから先の展開が見込めないってもんだ。

 

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ここから先の展開って?というのは、まず私はこのブログを自宅のホームデコール覚え書きのように雑記としてやっている。しかしなぜそれを公開するのかとなれば、多少なりとも誰かの参考になればいいなどという気は毛頭なくて、自分本位の欲ゆえ。ホームデコールの経過を語って写真を載せることで、それが何かしらの切っ掛けとなって会話が展開されたらいいと望むからだ。

コメント欄での会話の中から閃きや気付きを得て、さらに先へ進みたい。コメントしてくれる方にも私自身にも有益なよう、そんなふうに触発される場として活用したい。そう考えていてのこと。だから写真からサイズ感が伝わっていないだろうと感じているのは、会話のやり取りの切っ掛け要素としては不十分でなんとも口惜しい。

 

 

さて、我が家の家具と装飾への思いだが、それを語ってみた後でなくとも関心を持たれないのはすでに今でもわかっている。これまでの記事に対する極端に少ないアクセス数や反応からしても、それは明白だ。既存記事が今から語ることを象徴するかのように物語ってもいるのだから。

プロフィールやサイドバーのこのブログについてで書いているように、私はホームデコールとなれば椅子と燭台が特に好きだ。そうなるとそれを目にした方の中には、そう自称するからにはどれほどの椅子を所有しているのかと興味が湧いて、それらを見たくなる人がいる、というよりほとんどの人がそうかもしれない。

所有している家具についての記事をひとつも投稿していないこの時点で早々に言ってしまえば、その期待に応えることは後にも先にもない。実は、引っ越し後に注文したり製作依頼した家具がひとつもまだ届いていない!のだが、それが届いた後でも、一目見てどこの製品かとわかるものはない気がする。

私の記事写真を見てから、あのデザイナーのあの椅子ね!という会話がコメント欄で展開されることは万が一にもないだろう。名作という評価を得た椅子を1脚も現在は所有していないのに椅子好きを自称する厚顔無恥でまったく期待外れなブログ、と見做されるのも覚悟の上。

有名どころは一通り知ってる(本やネットで勉強して大筋は押さえた、博物館にまで行って実物を目にしたなど)、名作とされる椅子をいくつか所有している、それを経た後でなくては椅子好きを自称するに値しないという風潮があるように見受けられる。あくまでも私の周りの狭小範囲から言っているのだが。

そういうのから離れて話そうよ、話したかったよ、既存の名声や評価は度外視して自分の感覚で椅子と向き合いたい、そんな思いを抱えている椅子好きな人と出会ってここで話したい、やり取りをして触発されたい。椅子に限らず、他の家具や装飾についてももちろん同様に。

 

そんな私の願いはそのうち叶うのだろうか。いや、今日までに頂いているコメントが十分にありがたい。また触発されるやり取りができるよう、雑記を続けるぞ。と熱が入った勢いとその流れで、椅子で贅沢してみると奮い立った小学生の頃を回想したものを次記事では書いてしまうかも。読みたい人がいるかどうかより、これぞ自分向けの雑記だ。